地球の全部で暮らしてみたい 『全額回収一生旅行』始末記編 000 - 2
2000年 夏のある日 〜 2001年1月4日まで
『全額回収一生旅行』
旅を終えて家に帰らずにすむ、簡単な方法。
全額回収一生旅行
南アフリカ共和国・ケープ半島「喜望峰」の近所
「私には定住する家がないので、自動的に一生が旅となります。当面アフリカ、そのあと南米に行く予定です」
このような企画書を書き、活字媒体を中心に売り込みを始めました。
一生旅……ということになると、旅をしながら金を稼ぐ必要が生じます。旅に出るためには仕事(放送作家)をやめなければならないとあっては、なおさらです。
パソコンとデジカメを携え、世界のあちこちで記事を書いて、メールで送って稼ごう。そう考えました。
企画書には『全額回収一生旅行』というタイトルを付けました。
定住する家の放棄は、簡単でした。実はその時、私はすでに、〔家がないも同然の暮らし〕をしていたからです。
大学在学中に放送作家の仕事に首を突っ込んで十五年(当時)。そのうちに、東京でクソ高い家賃を毎月毎月払うのがバカバカしくなり、都内のマンションを引き払ってしまいました。
週末は、信州・伊那谷の生家に居候するか、仲のよい従弟が南アルプスの麓でやっている温泉旅館にタダで泊めてもらうかして、岩魚釣りや、草野球。
ウィークデーは、毎週都内の違う地域の安いホテルを探して泊まり、十七年間住んだ東京を改めて旅する楽しみを味わいながら、放送作家の仕事。
都内定住を放棄したそんな生活を、私はすでに3年ほどしていたのです。独り者の気楽さで、東京と田舎のおいしいとこ取り。では、その行動範囲を、世界に広げてみたならば……。
売り込みの結果、企画を買ってくれた所がありました。月刊の旅行雑誌の連載がひとつ。それに、不定期の記事の寄稿の話が1〜2。他にも連載が持てそうな気配もあり、充分な収入確保とまではいかないものの、希望は持てそうな雲行きです。
その頃には当初の興奮も冷め、定住しないで世界を気ままに渡り住むのは楽しいだろうが、一生となるとかなり大変だ……と思うようになっていました。
俺は天才ではなく、バカなんじゃないかと思ってみたりもしましたが、企画が売れてしまっては、もう引っ込みがつきません。
「ひええ。本当に、もう一生定住できんことになってしまった。えらいこっちゃ」