DRINK ON EMPTY STMACH  004 - 3

2010年3月5日

四六時中酔っぱらい
四文字を連呼しながら道を
行く偉人の話

 とんでもないじいさんと、超・優秀な小学生女子の、
頭が混乱する心温まる話で、4杯目。

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引き続き、「勝勝負の極北-なぜ戦い続けるのか」(藤沢秀行・米長邦雄・共著〔対談集〕1997年)から、藤沢秀行氏のエピソード抜粋。(敬称略)


hon5.jpg 年中泥酔するまで飲んでいて、以前は対局にも酔って臨んでいた(飲みながらの対局はできないため、たくさん飲んでから来ていた)。どんなすごい人でも、普通は酔うと勝てないものだが、秀行だけは別で、飲んで打っても弱くならない(タイトルを取っている)。

 しかし、そのうちに1時間も飲まないと手が震えるようになり、石が持てなくなってしまった(対局は1時間などという短い時間では終わらないので、事前にたくさん飲んでおいても対局の途中で酒が切れて手が震えるようになってしまった)。そうなってからは、対局の時だけ酒を抜くようになった。

 数日前からいきなり断酒というのはできないので、2カ月ぐらい前からだんだん量を減らして行って、完全にやめる。そのうちに何も食えなくなり、何にも胃に入れてないのに吐くようになる。2日ぐらい胃液を吐いて、ウジムシやお化けがゾロゾロ出てくる幻覚を見たりなんかして、やっと完全に酒を切って、対局に望む。すごく苦しいらしい。

 ちなみにこれを始めたのは、6期連続で棋聖位を防衛した3期目から。こんなことをしながら、棋聖位を6期まで連続防衛し、66歳の時には王座を取った。

 米長邦雄は不思議に思い、医者に聞いたことがある。「藤沢秀行という男がいて、この人は酒を泥酔するまで年がら年中飲んでいる。ウィスキーなら毎日2本ぐらい、日本酒なら一升飲む。ところが大事な勝負の前になると、(幻覚を見ながらも)ピタッと自分で酒を断つ。この藤沢秀行という人は、アル中なのか、そうでないのか?」。医者の答は「自分の意志で酒が断てるのなら、アル中ではありません、飲んべえです。」

 2度のがんは、胃がんとリンパがん。胃がんは早期ならもっとも治りやすいがんに属するが、がんがリンパに転移してコバルト療法を受けるようになると、予後は普通かなり厳しい。ところが、米長邦雄が今生のお別れだと思ってお見舞いに行ったら、病室で弟子と碁を打ったりしている上に、「米さん、コバルト療法で口の中が焼けちゃって、ビール一口飲んだら飛び上がるほど痛え」なんて言ってる。それで生還。

 その前、胃がんで入院した時は、手術の数日後から勝手に外出したり酒を飲みまくったり、看護婦の部屋に入り込んだりしていた。

 女性関係も激しく、何人もの女性と付き合って、各方面に子供が7人(「勝負の極北」出版時点で。その後のことは知りません)。かみさんのいる家に3年ぐらい帰らなかったりする。

 奥さんもすごい人で、藤沢秀行はかみさんにあそこを噛まれて食いちぎられそうになり、大出血してムチャクチャ痛い思いをしたことがあるが、これが若い頃の話ではなく、なんと90年代半ば、70歳近くになってからの話。

 付き合っていた若い女性が妊娠した時、その姉夫婦が押しかけてきた。女性の父は校長、姉は教頭、姉の夫が当時通産省の課長。教頭と通産省に吊るし上げられたが、堅苦しく杓子定規の理屈ばかりごちゃごちゃいうのに腹を立て、秀行は「何を抜かしやがるんだ、このやろう。お○○こすりゃガキができるに決まってるだろう」と逆襲。「俺にはすでにかあちゃんがいて、他にも女がいる。それでも全く知らん顔という訳ではない。今後もできるだけのことはしていきたい。ただ現実は厳しくて、思うようにしてやれないことが起こるかもしれない。そんなとき力になってやるのが親兄弟というものだろう。いいですか、あんたたちがしっかりしなきゃダメなんです。あんたたちも頑張ってくれ」と、逆に説教して説得してしまった(単に相手があきれただけかもしれないが)。相手の女性は、子供を産んだが、さらにその後もう1人藤沢秀行の子を生んでいる。


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